Q1:武家諸法度を最初に作ったのは誰ですか?
A1:起草したのは徳川家康の信任を得ていた臨済宗の学僧・金地院崇伝です。家康が内容を承認・決定し、元和元年(1615年)に第2代将軍・徳川秀忠の名によって伏見城で諸大名に発布されました。
Q2:違反した大名はどうなりましたか?
A2:最も重い処分は「改易(かいえき)」で、領地・城をすべて没収され武士の身分を失いました。そのほか、領地を減らされる「減封(げんぽう)」や、別の遠隔地へ強制移住させられる「転封(てんぽう)」、当主の隠居・蟄居などが命じられました。
Q3:なぜ武家諸法度と禁中並公家諸法度の2つに分けたのですか?
A3:対象となる階級の性質と役割が根本的に異なっていたためです。武家諸法度は領地と武力を持つ大名の軍事・政治行動を縛るための規範であり、禁中並公家諸法度は天皇と公家から政治的権力を削ぎ、学問と伝統儀式のみに専念させるための統制法でした。
Q4:参勤交代を破った大名はいなかったのですか?
A4:原則として拒絶した大名はいません。病気や天災による延期の申し出は認められる場合がありましたが、無断での不参勤は幕府に対する明確な反逆とみなされ、即座に改易や討伐の対象となるため、各大名は莫大な借金をしてでも江戸へ参勤しました。