「本当にそんな職業が実在したのか」という疑問は古くから議論されてきました。結論から言えば、「屁負比丘尼という役割・職務そのものは確実に実在した」ものの、看板を掲げた単独の専業職というよりは、上流階級付き添い役の極秘任務の一つであったというのが歴史的な真相です。
江戸城の「大奥」や大名屋敷の奥向きでは、身分の高い奥方や姫君に仕える腰元や「御添え比丘尼」と呼ばれる側近が存在し、主人の失態を自らの責任として処理する不文律が徹底されていました。身代わりとなって主君の威厳を保つ行為は、当時の忠義と礼儀作法の一環として定着していたのです。
一方で、この世相を面白がったのが江戸の町人たちでした。当時の庶民は、見栄と体面に汲々とする特権階級の姿を風刺し、川柳や黄表紙、そして「落語」の格好のネタとして昇華させました。
『屁をこいて 恥を比丘尼に 負わせけり』といった辛辣な川柳が詠まれ、落語の演目では「身代わりを頼んでいた比丘尼が、主人がすかしっ屁をしたときに『ただ今の音は小さうございますが、実は私でございます』と余計なことを言って台無しにする」といった滑稽噺が大流行しました。こうした大衆芸能の広まりによって「屁負比丘尼」というキャッチーな名称が一人歩きし、江戸の珍職業の代名詞として後世に定着したのです。