戦後の荒廃が色濃く残る日本で、彼女の歌声は人々の傷ついた心に寄り添う一筋の光だった。歌手・女優として頂点に立ち、誰もがうらやむ成功を手にした彼女。しかし、その内面では「自分にしかできない社会への恩返しとは何か」という自問自答が常に渦巻いていたという。
当時、身体障害や知的障害を持つ子どもたちへの公的な支援は著しく遅れていた。社会の片隅に追いやられていた彼らの存在を知った彼女は、迷うことなく行動を起こす。周囲の大反対を押し切り、私財をすべて投入して日本初となる肢体不自由児の養護施設を立ち上げる決意を固めたのだ。