現在世界中で認知されている「赤白のスクエアロゴ」が生まれたのは、2006年11月、米ニューヨーク・ソーホー(SoHo)地区へのグローバル旗艦店出店が直接のきっかけでした。当時、英国進出で店舗閉鎖を余儀なくされるなど海外展開の壁にぶつかっていた柳井氏は、ブランドの骨格を作り直すクリエイティブディレクターとしてアートディレクターの佐藤可士和氏を招聘します。
佐藤氏が断行した改革は、当時のデザイン界と経済界に大きな衝撃を与えました。その核心は主に3点あります。
1. 「ワインレッド」から「日の丸の赤」への原点回帰
それまで使われていた少し暗めのワインレッド(バーガンディ)は、どこか欧米の老舗ブランドを意識したような「落ち着き」を装っていました。佐藤氏はこれを排し、混じりけのない鮮やかな純色である「ジャパンレッド(日の丸の赤)」へと変更しました。日本発のブランドであることを誇り高く掲げ、極限まで明度と彩度を高めた赤は、刺激的でありながら清潔感と圧倒的な視認性を生み出しました。
2. なぜ世界へ「カタカナ」を輸出したのか?
最大の革命は、アルファベットの「UNIQLO」だけでなく、日本語の「ユニクロ」ロゴを英語ロゴと対等な主役として世界共通で打ち出したことです。当時、日本企業が海外へ進出する際は「現地に馴染むよう日本語を隠す」のがビジネスの常識でした。
しかし佐藤可士和氏は、柳井氏に対して「世界が日本に求めているのは、中途半端な欧米の模倣ではなく、東京のハイパーモダンなカルチャーと圧倒的な品質・合理性である」と提言しました。漢字圏以外の外国人にとって、幾何学的な「ユニクロ」の4文字は、クールでポップな幾何学グラフィックとして映ります。秋葉原のアニメや原宿のファッションと同列の「Tokyo Culture」の記号として、カタカナロゴはマンハッタンの若者を熱狂させました。
3. 極限まで無駄を削いだオリジナルフォント
文字のデザイン(タイポグラフィ)にも緻密な計算が施されています。直角と直線、円弧のみで構成された独自の幾何学的サンセリフ書体は、装飾的な要素が一切削ぎ落とされています。これは、ユニクロが掲げる「LifeWear(あらゆる人の生活を豊かにするための服)」という哲学そのものを視覚化したものであり、「部品としての服」「超合理的で美しい道具」というブランドの立ち位置を完璧に表現しています。