Q1:比叡山焼き討ちの犠牲者数は本当に数千人だったのですか?
A1:近年の研究では、数千人という数字は信長側の武威誇示(プロパガンダ)や、後世の軍記物による大幅な誇張と考えられています。発掘調査で大量の人骨や焼土層が確認されていないことからも、実際の死者は山麓の坂本における戦闘員や逃げ遅れた関係者を中心とした数百〜千数百人規模であった可能性が高いとされています。
Q2:信長は宗教そのものを根絶しようとしたのですか?
A2:宗教弾圧ではありません。信長は自らの統治秩序に従う寺社には所領寄進や保護を厚く行っています。延暦寺に対しても事前に中立化と武装解除を打診しており、拒絶された結果としての軍事制圧でした。信長が敵視したのは信仰そのものではなく、「武装し世俗権力に介入する軍事・政治勢力としての寺社」でした。
Q3:なぜ明智光秀が焼き討ちに反対したという話が広まったのですか?
A3:江戸時代以降に成立した『明智軍記』などの創作物によって、光秀を「教養豊かで信心深い悲劇の名将」として描くドラマチックな脚色が行われたためです。同時代の一次史料や書状では、光秀は作戦の立案から実行までを主導した実行部隊のトップであったことが立証されています。