「波の下にも都がございます」誰の言葉?壇ノ浦の悲劇と真相を解読

「波の下にも都がございます」誰の言葉?壇ノ浦の悲劇と真相を解読

「波の下にも都がございます」誰の言葉?壇ノ浦の悲劇と真相を解読とはどのようなものなのか? 主要なファクトを整理してお届けします。

日本人の涙を誘う名場面として定着しているこの入水劇ですが、同時代の一次史料を検証すると、文学と記録の間には無視できない食い違いが存在します。

鎌倉幕府の公式記録とされる『吾妻鏡』元暦2年(1185年)3月24日条には、極めて興味深い記述が残されています。そこには、幼い安徳天皇を抱きかかえて海に飛び込んだのは二位尼ではなく、女官である按察使局伊勢(あぜちのつぼね・いせ)であったと明記されているのです。

比較要素平家物語(軍記物語)吾妻鏡(幕府公式記録)歴史考証と学術的見解安徳天皇を抱いた人物祖母・二位尼(平時子)按察使局伊勢二位尼が主導したのは事実だが、現場では混乱の中で女官が介添えした可能性。二位尼の行動天皇を抱き、宝剣を腰に差し勾玉を抱えて入水宝剣(草薙剣)を自ら抱えて入水神器の散逸を防ぎ「敵に渡さぬ」意志として二位尼が剣を持った点は共通。建礼門院(母・徳子)の動向入水するも源氏の兵に熊手で救出される同様に海に飛び込むも引き上げられ捕縛両書で一致。母として生き地獄を味わう運命を背負わされた。

なぜ『平家物語』は二位尼が直接抱き上げた描写にしたのか。そこには琵琶法師によって語り継がれる過程で、平清盛の正妻にして一門の精神的支柱であった二位尼と、無垢な安徳天皇という「一門の象徴同士」をダイレクトに結びつける劇的な脚色が施されたと考えられます。しかし、二位尼が主導して集団自決を決断し、宝剣とともに海底に消えたという本質的な事実関係において両史料に齟齬はありません。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。