ほんこんの相方とコンビ130Rの現在|不仲説と解散の真相に迫る

ほんこんの相方とコンビ130Rの現在|不仲説と解散の真相に迫る

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130Rの軌跡を語る上で欠かせないのが、ほんこんの若手時代における劇的なコンビ変遷です。あまり広く知られていませんが、ほんこんは板尾創路と組む以前、あの今田耕司と正式にコンビを組んでいました。その名も「ダブルホルモンズ」です。

NSC(吉本総合芸能学院)4期生として出会った2人は、1985年にコンビを結成。「骨付きカルビ」を名乗った今田耕司と、「おにく」を名乗った蔵野孝洋(ほんこん)の若手コンビとして心斎橋筋2丁目劇場などで活動していました。しかし、若気の至りや素行面での衝突、今田耕司の劇場謹慎処分などが重なり、わずか1年ほどでダブルホルモンズは解散を余儀なくされます。

その後、同じく別の相方と解散してピンで活動していた同期の板尾創路と意気投合し、1987年に結成されたのが「130R」でした。コンビ名は、モータースポーツの聖地・鈴鹿サーキットにある超高速の難関コーナー「130R」に由来します。「アクセル全開で駆け抜ける危険なコーナーのように、スリリングで尖った笑いを届けたい」という気概が込められた命名でした。

心斎橋筋2丁目劇場の看板番組『4時ですよ〜だ』で頭角を現した130Rは、ダウンタウンに才能を見出され、1991年からスタートした『ダウンタウンのごっつええ感じ』で全国区のブレイクを果たします。強烈なビジュアルとリアクションで笑いを取るほんこん(当時は本名の蔵野孝洋名義)と、何を考えているか分からない怪異なボケを連発する板尾創路。凸凹コンビとしてのコント職人ぶりは、90年代のお笑い史に深く刻まれることになりました。

加藤 愛美
著者

加藤 愛美

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。