お台場は何区?実は3区が混在する衝撃の真相を徹底解説

お台場は何区?実は3区が混在する衝撃の真相を徹底解説

お台場は何区?実は3区が混在する衝撃の真相を徹底解説の真相や最新動向に迫る! 専門的な視点でまとめました。

なぜ、これほど狭い一角が3つもの特別区に分かれる事態に発展したのでしょうか。その発端は、昭和中期に進められた「東京湾埋立第13号地」の造成事業に遡ります。

1970年代、東京都の産業廃棄物や浚渫土砂によって海が埋め立てられ、広大な都有地(現在の臨海副都心)が姿を現しました。この新たな土地を自らの管轄下におこうと、隣接する港区・江東区・品川区の3自治体による激しい「領有権争い」が勃発したのです。

各区の主張は、それぞれの歴史的・行政的な大義名分に基づいた極めて切実なものでした。

  • 江東区の主張:「東京都全体のゴミ処分に伴う悪臭やハエの大量発生(いわゆる東京ゴミ戦争)に最も苦しめられてきたのは江東区民である。耐え難い犠牲を払ってきた歴史的経緯から、埋立地は江東区に帰属すべきである」
  • 港区の主張:「江戸末期に黒船来航を防ぐためペリー艦隊に備えて築造された『品川台場(砲台)』のうち、現存する台場群は港区の管理下にある。歴史的な海の繋がりから見て港区が妥当である」
  • 品川区の主張:「江戸時代から続く品川浦の漁師たちが長年にわたって豊かな海苔の養殖や漁業権を保持してきた海域である。漁場としての歴史的権利を継承するのは品川区である」

各区が提示した帰属割合の要求を単純合算すると、造成面積の300%を超える事態となり、協議は完全に暗礁に乗り上げました。自治体にとって、新たな管轄地を獲得することは将来の固定資産税収入や都市開発の主導権を握ることを意味していたため、妥協の余地がなかったのです。

最終的にこの泥沼の争いに終止符を打ったのが、1982年(昭和57年)の東京都知事による調停案でした。知事調停により、面積比率で江東区に約66.8%(青海地区)、品川区に約18.1%(東八潮地区)、港区に約15.1%(台場地区)という配分比率が決定。10年近くに及んだ境界線紛争は、痛みを分け合う「3分割合意」という形でようやく決着をみたのです。

中川 明日香
著者

中川 明日香

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。