昭和から平成、そして令和へと時代が移り変わるなかで、私たちは野生動物に「愛称」をつけ、人間の物語を投影して消費しがちでした。「おばあちゃん」という親しみやすい呼び名も、親近感を生み出して地域ぐるみの保護機運を高めたという絶大な功績がある一方で、過度な擬人化による弊害を内包しています。
環境社会学や動物行動学の知見に照らせば、人間と野生動物の間には明確な「心理的バウンダリー(境界線)」が必要です。彼女は人間のために飛来しているペットでもなければ、観光の客寄せパンダでもありません。生き残るために琵琶湖の自然を選択し、過酷なシベリアの原野と湖北を己の翼一つで往復している孤高のプレデター(頂点捕食者)です。
「今年も会えて嬉しい」という感情を持つこと自体は自然な人間心理ですが、その感情が暴走して「もっと近くで見たい」「餌付けしてでも留まらせたい」というエゴに変質してはなりません。遠く離れた山肌の止まり木をスコープ越しに見守り、彼女が自分の力で狩りをし、春の気配とともに誰にも告げずオオワシ 琵琶湖 飛来情報の記録を完結させて去っていく——その自立した命の営みそのものを尊重することこそが、私たちが持つべき成熟した自然観です。