1985年、33歳となったプーチンは、東側陣営の最前線であった東ドイツのドレスデンへと派遣されます。肩書は「ソ連・東ドイツ友好会館の責任者」というカバーストーリー(偽装身分)でしたが、実態はKGBの潜伏工作員(階級は中佐)でした。
現地での主な任務は、NATO加盟国である西ドイツへ潜入させるスパイのリクルートや、西側の軍事・経済情報の収集、さらには東ドイツの秘密警察「シュタージ」との連絡調整業務でした。映画のような派手な銃撃戦ではなく、膨大な文書の分析と緻密な人間関係の構築が求められる地道な諜報活動に従事していました。
この駐在期間のハイライトとなったのが、1989年12月のベルリンの壁崩壊直後の出来事です。興奮した東ドイツのデモ隊がドレスデンのKGB支局を取り囲んだ際、プーチンは単身で建物の前に立ち、「ここはソビエト連邦の管轄区域であり、敷地内への侵入者は射殺する」と流暢なドイツ語で毅然と言い放ち、群衆を退散させました。このときモスクワの司令部に救援を求めたものの「モスクワは沈黙している」と見捨てられた屈辱が、強大な国家権力への執着を決定づけたと分析されています。