東国三社が国内でも特異なポジションを占めている理由は、日本神話の黎明期にまで遡ります。『古事記』や『日本書紀』に記された「出雲の国譲り」において、高天原の天照大御神から命を受けて出雲へ降臨し、武力と交渉で国土を平定したのが、鹿島神宮の主祭神・武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)と、香取神宮の主祭神・経津主大神(フツヌシノオオカミ)です。そして、この二神の先導役を務め、海上輸送や航路の安全を担ったのが息栖神社の久那戸太神(クナドノオオカミ)と天鳥船命(アメノトリフネノミコト)とされています。
平安時代に編纂された『延喜式神名帳』において、「神宮」の号を冠することを許されていたのは、事実上、伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の三社のみでした。この確固たる格式こそが、東国三社を他の神社と一線を画す存在に押し上げた根拠です。
江戸時代に入ると、利根川や霞ヶ浦の水運が発達したことを背景に、庶民の間で「下三宮参り(しもさんぐうまいり)」が定着します。伊勢神宮を参拝した人々が、その帰途に関東以北の結びとして東国三社を巡る「お伊勢参りのみそぎ参り」を行いました。「三社すべてを巡拝すれば、お伊勢参りをもう一回成し遂げたのと同等の功徳がある」と信じられ、利根川の水運ルートを往来する巡礼船は連日賑わいを見せたといいます。現代において最強パワースポットのご利益と称される所以は、勝負必勝や国家鎮護を司る武神の猛々しさと、迷いを取り払い行く手を照らす道開きの神威が融合している歴史的文脈にあるのです。