太宰の生涯を語る上で切り離せないのが、破滅的とも言える太宰治の女性遍歴です。彼と深く関わった女性たちは、いずれも太宰の魔力に人生を大きく揺さぶられることになりました。
最初の妻である芸妓・小山初代との同棲・結婚、そして田部シメ子との鎌倉・腰越での心中未遂事件(シメ子のみ死亡)を経て、太宰は師である井伏鱒二の媒酌で津島美知子と結婚。美知子との生活で精神的安定を得て『走れメロス』や『富嶽百景』などの名作を次々と生み出しました。
しかし、太宰の破滅衝動と女性関係は収まりませんでした。代表作『斜陽』のモデルとなり、太宰の娘(作家・太田治子)を産むことになる愛人の太田静子。そして戦後の混乱期に出会い、美容師として太宰の生活を金銭面・精神面の両方で支え続けた山崎富栄の存在です。
富栄は太宰の結核の看病から身の回りの世話まで献身的に尽くし、最後は1948年6月13日、玉川上水で太宰と共に命を絶ちました。女性たちが自らの生活や将来を犠牲にしてまで彼に寄り添った事実は、太宰が放っていた抗いがたい引力を物語っています。