この独特な名称の由来にはいくつかの説が存在しますが、最も広く知られているのが「お救人(おきゅうにん)」説です。江戸時代中期の享保の大飢饉(1732年)や天保の大飢饉(1830年代)の際、福岡藩の沿岸部で食糧が底をつき多くの人々が苦しむ中、博多の商人や漁民が海に自生していた海藻を煮溶かして固め、飢えに苦しむ人々に配って命を救ったと伝えられています。
「人を救った食べ物=お救人」と感謝を込めて呼ばれるようになり、それが訛っておきゅうとへと変化したという伝承は、福岡の歴史資料や郷土史研究家の証言にも記録されています。まさに命を繋いだ非常食であり、博多商人の知恵と共助精神を象徴するおきゅうと由来歴史の原点です。
別説として、日本海の沖合で採取される海藻を用いたことから「沖人(おきひと・おきうど)」と呼ばれた名残という説や、漁師が沖合で採取する草「沖人草」が転訛したという説もあります。いずれの説においても、厳しい玄界灘の海と人々の暮らしが密接に結びついて生まれた歴史的背景を物語っています。