なぜ、前庭神経炎の症状はいつまでも抜けきらないのでしょうか。炎症そのものは発症後数週間で鎮静化しているにもかかわらず、ふらつきが続く背景には、大きく分けて2つの決定的な医学的要因が存在します。
第1の要因は、脳による学習補正機能である前庭代償の遅れです。人間の平衡感覚は、左右の内耳(三半規管・耳石器)から送られる信号のバランスを脳幹や小脳が統合することで維持されています。前庭神経炎によって片側の神経がダメージを受けると、脳には「片方のエンジンが突然停止した飛行機」のような異常信号が入力されます。この左右差を埋めるため、小脳は壊れた側の信号を補正し、目(視覚)や足の裏・首の筋肉(深部感覚)の情報を動員して新たな平衡バランスを再構築します。この適応プロセスこそが前庭代償です。
ところが、この代償機能がスムーズに働かないと、静止時には何ともなくても、歩行時や頭を左右に振った瞬間に脳が空間認識のズレを処理しきれず、激しい浮遊感を引き起こします。
そして第2の、近年めまい外来で極めて重視されている要因が、慢性機能性めまい症であるPPPD(持続性知覚性姿勢誘発めまい)への移行です。2017年に国際的な診断基準が策定されたこの疾患は、前庭神経炎などの急性めまいをきっかけに発症します。内耳の器質的障害が軽快した後も、脳の神経ネットワークが「めまいへの恐怖や過剰な警戒態勢」を解除できず、立位や歩行、視覚刺激(スマートフォンのスクロールやスーパーの照明など)に対して異常に過敏な反応を続けてしまう状態です。
「前庭神経炎 完治しない理由」を単なる耳の治り遅れと考えていると、このPPPDの罠を見落とし、数年にわたる難治化を招く危険性があります。