津田梅子は、明治政府の岩倉使節団に同行した日本初の女子留学生の一人だ。わずか6歳で海を渡り、11年間にわたるアメリカ生活で先進的な教育と自由な精神を吸収した。帰国後、彼女を待ち受けていたのは「女性は家を守るべき」という強い男尊女卑の壁だった。しかし彼女は決して折れなかった。自分の手で女性が自立できる教育機関を作る決意を固め、1900年に現在の津田塾大学の前身となる「女子英学塾」を創設したのだった。
財務省と日本銀行が新紙幣の顔として彼女を抜擢した最大の理由は、彼女が示した「多様性と教育革新」の姿勢にある。性別にとらわれず、個々の能力を最大限に伸ばす教育理念は、現代のジェンダー平等やグローバル化の課題と強く共鳴する。新しい日本社会を切り拓く象徴として、彼女以上にふさわしい人物はいなかったと言えるだろう。