父である大谷徹氏は、自らも社会人野球の選手として白球を追った経験を持つ。水沢リトルリーグで監督として幼き日の翔平氏を指導した際、徹底していたのは「グラウンドの指導を家庭に持ち込まない」という鉄則だった。試合で三振をしようがエラーをしようが、家で叱責することは一度もなかったという。
徹氏と息子の間で行われていた「野球ノート」の交換は、指導者と選手という枠を超えた心の対話だった。ノートに記されたのは技術的なアドバイスだけではない。「大きな声を出して元気にプレイする」「一生懸命キャッチボールをする」「一生懸命走る」といった、野球の原点であり人間性の根幹をなす言葉の数々だった。失敗を責めず、プレイする喜びを最優先にする姿勢が、世界最高峰の舞台でも物怖じしない強心臓の基盤を作ったことは疑いようがない。