この遺跡が世に知られた契機は、学術的な発掘調査ではなく、大正13年(1924年)に地元漁師が体験した偶然の出来事でした。
琵琶湖独特の「底引き網漁(魞・えり漁や沖合底曳網)」を行っていた漁師の網に、魚と一緒に見慣れない古い壺が引き揚げられました。泥を洗い流すと、現れたのは精緻な文様が施された無傷の縄文土器。その後も昭和から平成にかけて、網を引くたびに100点以上の完全な土器が引き揚げられ、地元では「神仏の宿る湖底の宝」として驚きを持って迎えられました。
しかし、水深70mという極深部は、人間のダイバー(スキューバ潜水)が安全に長時間の調査を行う限界(通常30〜40m程度)をはるかに超えています。そのため長らく「網にかかったものだけを調べる」という受け身の研究にとどまっていました。
転機となったのは、滋賀県教育委員会や大学研究チームによる無人潜水機(ROV)や自律型水中ロボット(AUV)を投入した最新調査です。ハイビジョンカメラを搭載したロボットが暗黒の湖底を照らし出すと、湖底の泥の中から直立した状態で突き出る土器の姿がリアルタイム映像として捉えられました。網で引き揚げられた遺物だけでなく、現地に手つかずで眠る「湖底の原位置」が可視化された瞬間でした。