冠位十二階の真実|色の順番と覚え方から読み解く聖徳太子の実力主義

冠位十二階の真実|色の順番と覚え方から読み解く聖徳太子の実力主義

冠位十二階の真実|色の順番と覚え方から読み解く聖徳太子の実力主義に関する深掘り記事を速報でお届けします。関心のある方は必見です。

冠位十二階が導入された背景には、教科書的な「実力主義の導入」という説明だけでは収まりきらない、当時のヤマト政権が直面していた切迫した内外の危機がありました。真の目的は、大きく分けて二重の国家戦略に基づいています。

第一の目的は、国内に根深く張り巡らされていた「氏姓(しせい)制度」の限界を打ち破ることでした。従来の氏姓制度では、蘇我氏、物部氏、中臣氏といった有力豪族が、先祖代々の血筋によって「臣(おみ)」「連(むらじ)」といった姓(カバネ)を世襲し、朝廷の官職を独占していました。どれほど無能な人物であっても名門氏族に生まれれば高官になり、どれほど才覚に優れた人物であっても下級氏族の出身であれば国政に関与できないという硬直化が生じていたのです。

推古天皇と聖徳太子は、朝廷の権力を天皇に集中させるため、家柄ではなく個人の忠誠心と実務能力によって評価する人事制度を必要としました。冠位は個人の一身にのみ与えられ、当人が死去してもその子孫へと世襲されることはありません。これにより、天皇が直接官僚を任命・昇進させる中央集権国家の土台を築こうとしたのです。

第二の目的は、東アジアの国際社会に向けた「国家としての独立と文明化のアピール」です。当時、中国大陸では約300年ぶりに南北朝の分裂を終わらせた巨大帝国「隋」が誕生していました。隋の皇帝である文帝や煬帝と対等に渡り合うためには、ヤマト政権が野蛮な未開国ではなく、独自の礼節と秩序、格式ある身分序列を備えた「自立した文明国」であることを示さなければなりませんでした。

使節団が隋の宮廷に赴いた際、誰が正使で誰が副使なのか、どのような序列で並んでいるのかが服装や冠で即座に識別できなければ、外交儀礼の場に立つことすらできませんでした。つまり、冠位十二階は国内の統治機構改革であると同時に、隋を中心とする国際秩序に対抗するための「外交用のドレスコード」という決定的な役割を担っていたのです。

林 結菜
著者

林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。