地域によって畳の規格がこれほど分かれた背景には、日本の建築工法における歴史的な変遷と、近世都市計画の思想が色濃く影響しています。江戸間と京間の違いを読み解く鍵は、「畳を先に決めたか、柱を先に決めたか」という設計思想の違いにあります。
関西地方を中心に発展した京間は、「畳割(たたみわり)」と呼ばれる工法を採用しています。これはまず畳の寸法(6尺3寸×3尺1寸5分:約191cm×95.5cm)を固定し、その周囲に柱を立てて部屋を設計する手法です。室町時代から安土桃山時代にかけて茶室や書院造で洗練された文化であり、畳の大きさが家の格調を物語っていたため、柱の間隔を調整してでも畳の広さを最優先しました。
対照的に、江戸で誕生した江戸間は「柱割(はしらわり)」という工法に基づいています。江戸時代初期、徳川幕府の開府に伴い江戸の町には急速な人口集中が起こり、火災が頻発しました。幕府は迅速な復興と住宅の大量供給を迫られ、柱の中心から隣の柱の中心までの距離を「1間=6尺(約181.8cm)」と固定する合理化を推進します。柱と柱の間に畳を敷き詰める構造をとったため、柱の太さ(通常約10.5cm〜12cm)の分だけ畳の寸法を削らざるを得ず、結果として畳のサイズは京間より一回り小さい176cm×88cmへと縮小しました。
さらに戦後の高度経済成長期、日本住宅公団(現在のUR都市機構)が大量供給した団地住宅において、鉄筋コンクリート造の壁厚に対応しつつ居住戸数を最大化するために考案されたのが団地間サイズです。限られた敷地と建設コストの中で都市生活者の住まいを確保するという国家的要請が、畳のさらなるダウンサイジングを後押ししました。