日本の立憲政治を確立するため、西園寺は伊藤博文の盟友として汗を流した。伊藤から政党の舵取りを引き継ぎ、立憲政友会の第2代総裁に就任した彼は、桂太郎と交互に政権を担う「桂園時代」を築き上げた。2度にわたり内閣総理大臣を務めた時期は、明治から大正への過渡期であり、財政再建と軍部からの増師要求との間で激しい葛藤を強いられた時代でもある。
藩閥政治の打破と民意の反映を目指した西園寺の挑戦は、平坦な道ではなかった。軍部の強硬姿勢により第2次西園寺内閣が総辞職に追い込まれた事件は、後の二・二六事件や軍事独走への暗雲を予兆させるものであったが、彼が植え付けた政党政治の種は、後の大正デモクラシーへと大きく花開くこととなった。