加藤智大の家族構成は、金融機関(信用金庫)に勤務していた父親、元教員志望で専業主婦となった母親、そして5歳年下の弟の4人家族でした。外見上は青森県内で誰もが羨む中流の上位層であり、閑静な住宅街に建つ一軒家で暮らす模範的な家庭に見えていました。
金融機関の堅実な職員であった父親の職業柄、経済的に困窮していたわけではありません。しかし、父親は家庭内の教育方針に一切口を出さず、母親が激高して子どもたちに体罰を加えている際も、自室に閉じこもるか見て見ぬふりを決め込んでいました。家庭内における父親の完全な無関心と沈黙が、母親の暴走に歯止めをかける唯一の機会を奪い去ったと言えます。
こうした極限の緊張状態のなか、加藤智大の小学校成績はトップクラスを維持していました。通信簿はほぼオール5で、全国統一模試でも上位に名を連ねるなど、周囲からは将来を嘱望される「神童」と見なされていたのです。母親の期待に応え、怒りを回避するために必死で勉強にしがみついていた時期でした。
しかし、その危うい均衡は、県内屈指の名門進学校である青森県立青森高校への進学とともに音を立てて崩壊します。進学校に集まる本物の秀才たちを前に、加藤の学業成績は400人中300番台へと急落しました。これまで「勉強ができること」だけで辛うじて家庭内の居場所と母親の承認を繋ぎ止めていた加藤にとって、成績の低下は存在価値の全否定を意味していました。
母親からの叱責とプレッシャーに耐えかねた加藤は、次第に高校を休みがちになり、家庭内で壁を殴り暴れるといった暴力行為へ発展。大学受験にも失敗し、短大へ進学したのちに各地を転々とする派遣労働者への道を歩むことになり、社会的な孤立を深めていきました。