ネット上で頻繁に見受けられる「僕たちはどう生きるか」というフレーズは、正確にはスタジオジブリが制作した映画『君たちはどう生きるか』、およびその着想源となった吉野源三郎の同名小説に対するユーザーの無意識な誤認です。しかし、この単なる「言い間違い」で片付けられない言語的現象には、本作が持つ本質的な磁場が色濃く反映されています。
原作である吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』は、主人公の少年コペル君とおじさんの対話を通じて「人間としてどうあるべきか」を説く、明確な二人称の倫理的問いかけでした。これに対し、宮崎駿監督の映画は、問いの形を借りながらも極めて私小説的な「宮崎駿自身の精神的自叙伝」として構築されています。観客はスクリーンから「君はどう生きるのか」と鋭く突きつけられ、その重圧を自らの胸に引き受ける過程で、主語を「僕たち(私たち)はどう生きるべきか」へと内面化させていきました。
スタジオジブリの公式発表や当時の制作資料によると、宮崎駿監督は2013年の『風立ちぬ』公開後に一度は引退を表明したものの、2016年末に本作の企画書を鈴木敏夫プロデューサーに提出しました。自らの少年期のトラウマ、疎開先での複雑な家族関係、そして長年アニメーション制作を共にしてきた亡き戦友・高畑勲監督への複雑な愛憎を精算するための作業は、足かけ7年もの歳月を要することになります。タイトルこそ吉野源三郎の名著から借用しているものの、劇中で描かれた物語は、原作の忠実な映像化ではなく、完全にオリジナルなダーク・ファンタジーへと昇華されました。