ラジエーター・スプリングスの診療所兼裁判所を預かる長老、ドック・ハドソン。彼こそが『カーズ』という作品に重厚な陰影と人生の哀愁を与えた最重要人物です。ドック・ハドソンの経歴とモデルを読み解くことは、そのまま米国レース史の黄金期と挫折を追体験することに他なりません。
ドックの実車モデルは、1951年型「ハドソン・ホーネット(Hudson Hornet)」。当時としては極めて画期的な低重心フロア構造「ステップダウン・デザイン」を採用し、強大なハンドリング性能を誇った伝説のクーペです。劇中でドックが誇る「ファビュラス・ハドソン・ホーネット」としての栄光——1951年、1952年、1953年のピストン・カップ(実在のNASCARグランドナショナル)で3連覇を達成したという記録は、実在のレーサー、ハーブ・トーマスらがハドソン・ホーネットを駆って打ち立てた史実そのものです。
しかし、劇中で語られる彼の悲劇——大クラッシュを起こした途端に業界から見捨てられ、次世代のルーキーに居場所を奪われた過去——は、商業主義に飲み込まれていくモータースポーツ界の冷酷な現実を抉り出しています。当時、V8エンジンを開発した競合メーカーの馬力競争に敗れ、ハドソン社自体が経営統合(後のAMC)へと追い込まれていった産業史の黄昏が、ドックの背中に色濃く重なっています。
この孤高の元チャンピオンに命を吹き込んだのが、名優であり自身もプロレーサーとして名を馳せた故ポール・ニューマンでした。スタジオ関係者の証言によれば、ニューマンは声優としての参加にとどまらず、土埃の舞うダートトラックでのドリフト走法やステアリング技術について制作陣へ徹底的なアドバイスを与えたとされています。「外側へ曲がるためにハンドルを内側へ切る(カウンターステア)」という劇中の名指導は、本物のプロフェッショナルたちが交わした熱量の賜物です。