初恋の少女・篠原明里と、彼女を想い続ける遠野貴樹の心理的・物理的距離の推移を「桜花抄」「コスモナウト」「秒速5センチメートル」の全3話で描いた本作。物語の幕切れは、かつて雪の岩舟駅で再会を果たした二人が大人になり、東京の踏切ですれ違う瞬間へと収束していきます。電車が通り過ぎた後、遮断機の向こうには誰もいない――この幕引きこそが、多くの視聴者を呆然とさせ、「鬱エンド」と呼ばれる最大の理由です。
ハッピーエンド至上主義のエンタテインメントとは対極に位置するこのラストシーンについて、当時のインタビューで新海誠監督自身が「誰かを好きになることと、その人と結ばれることは別問題であるという現実を描きたかった」という趣旨の発言を残しています。運命の相手と信じた明里はすでに別の男性との結婚を控えて前を向いており、過去の幻影に囚われていたのは貴樹だけだったという非対称性。この容赦ない心理的断絶が、観る者の古傷を容赦なく抉り出します。
しかし、ラストの踏切において貴樹が見せた微かな笑みの意味を精緻に読み解くと、単なるバッドエンドとは異なる地平が見えてきます。彼は振り返らなかった明里の不在を確認したことで、10年以上自分を縛り付けていた「届かない想い」に自ら終止符を打つことができたのです。痛切な喪失の確認作業こそが、彼が現実の足元を見つめ、時速5キロメートルで新たな一歩を踏み出すための通過儀礼であったといえます。