羽生結弦さんがスケート靴を履いたのは4歳の冬のことでした。もともとはスケート教室に通っていた4歳上の姉・さやさんの練習についていったことが直接のきっかけです。さらに、幼少期から持病の小児喘息を患っており、埃が少なく冷たく澄んだリンクの空気が心肺機能の強化に適しているという健康面での配慮も後押しとなりました。
しかし、そのスケート人生は決して順風満帆ではありませんでした。地元・仙台で練習拠点としていた「コナミスポーツクラブ泉・スケートリンク」(旧ダイエー泉アイスリンク)が、経営難により2004年に閉鎖。当時小学4年生だった羽生さんは、練習場所を求めて車で片道1時間以上かかるリンクへの遠征や、一般営業滑走での限られた練習を余儀なくされます。
リンクの貸切時間が十分に確保できない厳しい環境下でも、羽生さんは1分1秒を惜しんで集中力を研ぎ澄ませました。この「限られた時間で最大限の成果を出す」という過酷な経験こそが、後の驚異的な集中力と効率的な技術習得のベースを築くことになります。その後、多くの署名活動や関係者の尽力により2007年にアイスリンク仙台として再開された際、羽生さんはホームリンクのありがたみを誰よりも深く胸に刻みました。