高橋是清とは何をした人か?奴隷から首相、恐慌救済と暗殺の真相

高橋是清とは何をした人か?奴隷から首相、恐慌救済と暗殺の真相

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これほどの救国の英雄でありながら、なぜ高橋是清は凶弾に倒れなければならなかったのでしょうか。その答えは、「アクセルを踏み抜いた男が、命を賭してブレーキを踏もうとしたこと」にあります。

1935(昭和10)年後半、日本の景気が本格的な回復軌道に乗ると、是清は早くも財政インフレの兆候と市場の過熱を察知しました。「これ以上国債を増発して市場に資金をばら撒き続ければ、悪性インフレが発生し国家経済が崩壊する」と判断した彼は、1936年度予算の編成において、それまで青天井だった軍事予算の削減・抑制に強く踏み切りました。

当時、満州事変以降の発言力を強めていた陸軍省や海軍省は、軍備拡張のための莫大な予算を要求していました。しかし是清は、陸軍大臣・川島義之らに対して「国防は軍備のみにあらず。国力が疲弊してしまえば、いかに軍備を整えても戦争は継続できない」と一歩も引かず、激しい論争を展開したと記録されています。

膨張する軍事費にブレーキをかけられた陸軍内の皇道派青年将校たちにとって、老練な是清は「軍拡を阻み、財閥と結託して国家の革新を妨げる元凶」として映りました。1936年2月26日未明、青年将校率いる反乱部隊が赤坂の高橋私邸(現在の赤坂高橋是清翁記念公園)を急襲。就寝中だった81歳の是清は、布団の上で数発の拳銃弾を撃ち込まれ、軍刀で斬殺されました。

彼を殺害した凶行は、単なる政治テロにとどまりませんでした。日本財政における「最後の重鎮」にして「最強のブレーキ役」を失った日本は、歯止めの利かない軍事費の膨張と無制限の国債増発へと突き進み、破滅的な太平洋戦争へのレールを敷くことになったのです。

中川 明日香
著者

中川 明日香

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。