ドロン家で巻き起こった骨肉の争いは、アラン・ドロン氏の晩年である2023年から2024年にかけて白日の下に晒されました。仏メディア各社の報道によると、ドロン氏が残した遺産総額は、フランス中部のロワレ県ドシーにある広大な邸宅、スイスの不動産、膨大な美術品コレクション、映画の権利料などを含め、推定約3億ユーロ(約480億〜500億円規模)に達すると報じられています。
世間を騒然とさせたのは、アラン・ドロン氏が遺言書で遺産の「半分(50%)を長女アヌーシュカに与え、長男アンソニーと次男アラン=ファビアンには25%ずつしか残さない」と明記していた事実でした。フランス法における遺留分(子どもが最低限相続できる権利)を遵守しつつも、長女に対して最大限の偏重を施したこの分配比率は、息子たちの心に深い不満と疎外感を植え付ける決定打となりました。
しかし、アンソニーがフランスの有力週刊誌『パリ・マッチ』等で語った告白によると、兄弟が怒りを爆発させた真の理由は「金の多寡」だけではありませんでした。直接の引き金となったのは、父の終末期における「居住地と医療方針」の不一致です。
長男アンソニーと次男アラン=ファビアンは、「弱り果てた父を、彼が愛したフランス・ドシーの自宅で穏やかに過ごさせ、看取りたい」と主張しました。対して長女アヌーシュカは、父を自らが暮らすスイスのジュネーブへ移送して最先端治療を受けさせようと試みました。これに対し息子側は、「スイス市民権を持つ父をスイスで看取ることで、フランスの莫大な相続税(最大45%)を回避し、巨額の遺産防衛を図ろうとしている」とアヌーシュカを猛烈に批判。家族の会話を秘密裏に録音した音声データが法廷に提出されるなど、刑事告発の応酬に発展しました。
かつては日本人女性とされる元同居人(介護人)ヒロミ・ロラン氏を「父への精神的虐待および財産詐取未遂」として3人の子どもたちが結束して追放したものの、その直後に兄弟と妹による内戦が勃発した形です。偉大なスターの終末期は、最も身近な血縁者同士の憎悪劇によって覆い尽くされてしまいました。