彼女の才能をいち早く世に知らしめた立役者といえば、集英社と『週刊プレイボーイ』の存在を外すことはできない。京都から上京し、無名に近かった彼女を大抜擢したグラビア企画は、瞬く間に読者の心を掴んだ。単なる水着の披露にとどまらず、女優としての内面や物語性を引き出す誌面作りが、彼女の持つ唯一無二の透明感を際立たせたのだ。
当時のインタビューで彼女は、グラビアの仕事を「女優になるための単なるステップ」とは決して捉えず、ひとつの独立した総合芸術として全力で向き合っていたことを明かしている。寒風吹きすさぶ過酷なロケーションでも嫌な顔一つせず、光の角度やポージングのミリ単位のニュアンスを追求する姿勢は、当時から生粋の職人そのものだった。