物語の発端は、スクーターの免許証を失効(あるいは再取得)するために教習所へやってきた坂田銀時と、攘夷志士としての逃走活動や潜伏のために自動車運転免許を取得しようとする桂小太郎が鉢合わせる場面から始まります。教習車の運転席に座る桂、助手席で指導にあたる教習所の鬼教官、そして後部座席に同乗させられた銀時という、逃げ場のない密室空間が舞台です。
教官は初心者が起こしがちな事故を防ぐため、「だろう運転」ではなく「危険を予測するかもしれない運転」を徹底するよう指導します。「前の車が急に止まるかもしれない」「路地から子どもが飛び出してくるかもしれない」という、至って全うな交通安全の心構えです。しかし、指名手配中の過激派攘夷志士である桂の思考回路は、常人の予測を遥か彼方に置き去りにしていきます。
「あの角から爆弾を積んだトラックが突っ込んでくるかもしれない」「前の車を運転しているのは幕府の隠密かもしれない、いや、天人(あまんと)の移動要塞かもしれない」――。桂の危険予測は、交通ルールを無視した被害妄想と戦闘シミュレーションへと加速度的に変貌。極めつけには、道端で佇む怪しげな影に対して「あの老婆は実は変装した刺客で、手押し車からロケットランチャーを取り出すかもしれない」と信じ込み、突然の急ハンドルやパニック操作を繰り返します。
冷静沈着な声色で声優の石田彰氏が紡ぎ出す「ヅラじゃない、キャプテンカツーラだ」「かもしれない運転の極致を見せてやろう」といった迷セリフの数々と、それに振り回されて胃薬を欲する教官の絶叫、そして銀時の容赦ない後頭部への蹴り。この息もつかせぬテンポ感とシュールレアリズムの融合こそが、視聴者の腹筋を完全に崩壊させた理由です。