1986年5月、ハワイでの静養中に高熱を発した石原裕次郎は、帰国後に慶應義塾大学病院の特別病室へ再入院します。すでに肝細胞癌は進行しており、医師団から兄・石原慎太郎と妻・石原まき子に対し、「余命いくばくもない」という非情な宣告が下されました。
病室での日々について、石原まき子夫人は後年の手記やインタビューで次のように回想しています。裕次郎は激しい痛みや倦怠感に襲われながらも、周囲に対して弱音を吐くことは一切ありませんでした。連日病室に泊まり込み、献身的に看病を続ける妻の体を常に気遣っていたといいます。
最期の瞬間が近づく中、意識が混濁するベッドサイドで裕次郎が妻に向けて遺したとされる「最後の言葉」は、「まき子、もう寝ろよ」「ありがとう」という、労いと感謝の言葉でした。自分が最も苦しい状況にありながら、徹夜で付き添う妻を最後まで思いやる姿勢は、まさに石原裕次郎という男の生き様そのものでした。
また、兄である石原慎太郎は、弟の手を握り締めながら病室で対峙した際の様子を自伝的小説『弟』の中で生々しく描写しています。カリスマとして生きることを宿命づけられた弟に、真の病名を隠し通すことの罪悪感と苦悩。それでも最後まで「大スター・石原裕次郎」としての誇りを守らせたいという家族の強い愛が、そこには存在していました。