法的な誤解とは別に、消費者の恐怖心を煽ったのが、2000年代以降にネット空間で拡散された「にがり毒性論」です。ここには、科学的に証明された現実のリスクと、荒唐無稽な疑似科学が混在しています。
「にがりで内臓が豆腐のように固まる」という流説の正体
一部の自然療法サイトや個人ブログで「にがりは豆乳のタンパク質を固める。だから飲み続けると人間の胃や肝臓、膵臓などの内臓タンパク質も硬化し、機能不全で死に至る」という言説が展開された時期がありました。鶏肉を自然塩やにがり水に浸すと硬直したという自称実験を引き合いに出し、恐怖を煽る手口です。
生化学的に見て、この主張は明白な誤りです。豆腐が固まるのは、豆乳中のグリシニンなどの大豆タンパク質が熱変性した状態へマグネシウムイオン(2価の陽イオン)が結合し、イオン架橋を形成して網目構造を作るためです。一方、経口摂取されたにがりは強酸性の胃液(pH1〜2)で瞬時に希釈・イオン解離し、十二指腸から小腸へと送られます。人間の内臓壁が生きたまま「豆腐化」することなど生理学的にあり得ません。これが天然にがり危険性の真相における、デマの解剖結果です。
2004年の悲劇:ブームが引き起こした「高マグネシウム血症」の現実
しかし、火のないところに煙は立ちません。科学的な意味での危険性は「タンパク質凝固」ではなく、過剰摂取による急性毒性にありました。2004年春、テレビの情報番組が「にがりを水に混ぜて飲むだけで糖の吸収を抑え、激痩せする」と無責任に煽ったことで、社会現象となった「にがりダイエットブーム」です。
当時、ドラッグストアからにがり製品が一瞬で消え去る中、悲惨な事故が発生します。原液を薄めずに一気飲みした人や、短時間で過剰摂取した高齢者が救急搬送され、神奈川県などでは意識不明に陥った後に死亡する事例まで報道されました。これにより厚労省は2004年3月、日本医師会や各自治体へ緊急の安全通達を発出しました。
マグネシウムを短時間に大量摂取すると、腸管内の浸透圧が急激に上昇し、激しい水様便を引き起こす天然にがり副作用と下痢が生じます。これ自体は便秘薬(酸化マグネシウム等)と同じ原理ですが、問題は腎臓の排泄能力を超えた場合に血液中のマグネシウム濃度が跳ね上がるにがり高マグネシウム血症です。血清マグネシウム値が異常高値になると、血圧低下、徐脈、筋力低下、呼吸抑制、そして最終的には心停止を招きます。この凄惨な事故報道が「天然にがりは危ない=販売・使用が禁止された」という記憶の歪曲を生み出したのです。