歴史ファンやネット上の議論では、蘇我氏に関して長年語り継がれているいくつかの根強い言説があります。しかし近年の学術研究は、それらの多くを俗説として退けています。
盲点1:「蘇我氏=朝鮮半島からの渡来人説」の学術的決着
昭和後期から平成にかけて、歴史学者・門脇禎二氏らが提唱した「蘇我氏渡来人説」がネット上で広く拡散されました。蘇我満智(まち)と百済の貴族・木満致(もくまち)の同一人物説や、渡来人特有の技術・仏教受容に積極的だった点が論拠とされました。
しかし、近年の古代史学界および考古学的アプローチ(葛城・飛鳥地方の古墳群や氏族系図の精査)においては、「渡来人直系説」はほぼ否定されています。現在の定説では、蘇我氏は河内(大阪府南部)または大和の葛城地方を本拠とした土着の有力豪族であり、河内の港湾を拠点に渡来人系集団(東漢氏など)を巧みに統括・配下に組み入れた「テクノロジー官僚集団の元締め」であったと解釈されています。渡来系技術集団との距離があまりに近かったため、後世に渡来人そのものと混同されたというのが事実に近い構図です。
盲点2:「蘇我氏は乙巳の変で根絶やしにされた」という虚構
教科書の簡易な記述によって「乙巳の変で蘇我氏は滅びた」と記憶している人が大半ですが、これは明らかな誤解です。滅びたのは蝦夷・入鹿の「本宗家」だけに過ぎません。
中大兄皇子に加担した傍系の蘇我倉山田石川麻呂をはじめ、蘇我赤兄(あかえ)、蘇我連子(むらじこ)といった一族の有力者たちは大化改新政権の中枢に留まりました。さらに驚くべきことに、石川麻呂の娘である遠智娘(おちのいらつめ)は中大兄皇子の正妃となり、第41代持統天皇を生んでいます。
持統天皇は父・天智天皇の血と、母方の祖父・蘇我倉山田石川麻呂の血を等しく受け継いでいます。つまり、現在まで連綿と続く日本の天皇家・皇統の根幹には、乙巳の変以降も厳然として蘇我氏のDNAが息づいているのです。