多くのファンに衝撃を与えた明治カールの東日本における販売終了。その背景には、長年にわたるスナック菓子市場の構造変化と、それに伴う採算性の悪化がありました。
カールは1990年代前半のピーク時には、年間で約190億円に達する売上規模を誇っていました。しかし、ポテトチップス市場の急拡大や激しい新商品競争、さらには消費者の嗜好の多様化に押され、2010年代半ばには売上が約60億円規模へと大幅に低迷。明治のスナック菓子売上推移の中でも、主力商品の苦戦は明白な経営課題となっていたのです。
さらに追い打ちをかけたのが、製造設備の老朽化と物流コストの増大でした。カールは嵩高(かさだか)く軽量な袋菓子の特性上、輸送時の積載効率が低く、全国配送にかかる物流コストが利益を圧迫します。全国5拠点体制を維持することが困難となり、ブランド自体の全面撤退も検討された中、「なんとかカールの歴史と味を残したい」という強い想いから、愛媛県にある四国明治(松山工場)への生産一本化と西日本限定化という苦渋の決断が下されました。