山口百恵さんの生い立ちにおける家族構成は、母・正子さんと、後に生まれた妹の淑恵(としえ)さんを含めた実質的な母子家庭でした。一家は東京都渋谷区から横浜市、そして横須賀市へと居を移しながら、日々の食事にも困窮するほどの貧困生活を強いられます。
母の正子さんは、幼い百恵さんと妹を育てるために昼夜を問わず内職や縫製の仕事に追われ、自らの身を削るようにして家庭を支えていました。一方で実父の久保氏は、たまに姿を現しては正子さんに横柄な態度を取り、生活費の無心さえすることもあったと伝えられています。
さらに幼い百恵さんを深く傷つけたのが、戸籍上の「認知」にまつわるトラブルでした。久保氏が正妻との関係や世間体を気にして認知を渋ったため、百恵さんの戸籍の続柄欄には、通常の「長女」ではなく、私生児(非嫡出子)を意味する「子」という記載がなされていた時期がありました。物心ついた百恵さんは自身の戸籍を見て、自分が社会的に祝福されない形で生まれた現実を突きつけられることになります。