両書に収められたいわゆる記紀神話は、ヤマト王権が日本列島の統治者としての正統性を主張するための重要な根拠であった。しかし、その描写には興味深い格差が存在する。『古事記』では、スサノオの暴虐やイザナミの黄泉の国での姿など、神々の生々しい感情や失敗談が隠すことなく描かれる。これは、豪族たちの祖先神を物語に組み込み、親近感を持って王権のストーリーを受け入れさせるための工夫だったと考えられる。
これに対し『日本書紀』では、皇室の始祖である天照大神の威厳を損なうような描写は慎重に回避または異説扱いとされ、統治権の移譲(国譲り)のプロセスが法律文書のごとくロジカルに描かれる。ヤマト王権が東アジアの中で誇り高き独立国であることを示すため、『日本書紀』は神話ですら政治的プロパガンダとして洗練させた。神話を「魂の物語」として語るか、「国家の起源」として論理化するかという差異がここにある。