沖縄方言ウージとは?さとうきび畑とざわわに秘めた沖縄戦の真相

沖縄方言ウージとは?さとうきび畑とざわわに秘めた沖縄戦の真相

沖縄方言ウージとは?さとうきび畑とざわわに秘めた沖縄戦の真相の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。

名曲の背景にあるウージの森沖縄戦の歴史経緯を直視することなしに、ウージの真実を語ることはできません。1945年4月に米軍が上陸して始まった沖縄戦において、ウージ畑は兵士と住民双方の生と死を分ける凄惨な現場となりました。

戦火が南部へと追い詰められた5月下旬以降、首里の司令部を失った日本軍と避難民は、島尻郡一帯の狭い地域に密集しました。ガマと呼ばれる自然洞窟を日本軍に追い出された民間人や学徒隊は、激しい艦砲射撃と空爆から身を隠すため、背丈の高いウージ畑へと逃げ込みました。

ひめゆり学徒隊や白梅学徒隊をはじめとする生存者の証言録には、ウージ畑での凄惨な情景が生々しく記録されています。

「砲弾が炸裂するたび、青々としたサトウキビが吹き飛ばされ、土煙とともに生臭い血の匂いが充満した」
「喉の渇きに耐えかね、倒れたサトウキビの茎を無我夢中で噛みしめながら、すぐ隣に倒れている同級生の亡骸にすがりついて泣いた」

米軍にとっても、視界の利かないウージ畑は日本兵が潜む脅威の地帯でした。そのため、疑わしいサトウキビ畑には容赦なく黄燐弾や迫撃砲が撃ち込まれ、火炎放射器によって畑ごと焼き払われました。歌詞にある「風の音を知っている父」が帰らなかった場所、それがまさに硝煙と業火に包まれたウージの森だったのです。

林 結菜
著者

林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。