1990年代、テレビのワイドショーや週刊誌は強大な権力を持っていた。タレントの自宅前にリポーターが押し寄せ、私生活を暴くことが「正義」や「娯楽」として消費されていた時代だ。しかし、SNSや個人メディアが発達した現代においては、情報の発信と受容の構造は劇的に変わっている。
仮に現代で同様の出来事が起きたとすれば、自らの言葉でダイレクトに想いを届ける場が存在し、多角的な議論がSNS上で巻き起こるだろう。かつての加熱報道は、マスメディアが単一の価値観でプライバシーを消費できた時代の、ある種の歴史的産物であったと言える。