山本投手の成長を語る上で欠かせないのが、都城高校野球部の石原与一監督をはじめとする指導陣との出会いです。高校2年の春、肘の違和感を覚えた山本投手に対し、首脳陣は無理な登板を避け、徹底したノースロー調整と柔軟性トレーニングを指示しました。この時期の慎重なケアが、後の大きな故障を防ぐ転機となります。
当時の山本投手は、力任せに腕を振るのではなく、胸郭の柔らかさや骨盤の回旋を連動させた「力感のないフォームから伸びる剛速球」を投げていました。高校生特有の粗削りさが少なく、リリースの瞬間にすべてのエネルギーを集約する投球メカニズムは、高校時代にすでにその原型が作られていたのです。