是枝裕和といえば、これまで家族の絆や社会の歪みを繊細なタッチで切り取るヒューマンドラマの第一人者として世界的な評価を確立してきた。しかし、今作で見せるアプローチはこれまでのイメージを大きく裏切るものだ。日常のすぐ隣に潜む歪みや欲望を描き出し、観客の推理を惑わせる緻密なサスペンス・ミステリーの構造が全編に敷き詰められている。
登場人物たちが抱える複雑な背景や暗部が、ドーナツの穴のように「存在するのに見えない空白」として描かれる。人間の温かさと冷酷さが交錯する心理戦は、観る者の倫理観を根底から揺さぶるだろう。これまでのカンヌ国際映画祭受賞作で見せた美学を継承しつつ、極上のミステリー要素を掛け合わせた手法は、監督のキャリアにおける新たな黄金期の到来を予感させる。