勝村政信の演劇人生を語る上で外せないのが、世界的演出家・蜷川幸雄が主宰した「蜷川スタジオ(ニナガワ・スタジオ)」への入所(1984年)と、鴻上尚史が旗揚げした伝説の劇団「第三舞台」への合流(1986年)です。
蜷川の現場で怒号を浴びながら基礎を徹底的に叩き込まれた勝村は、第三舞台の『朝日のような夕日をつれて』や『デジャ・ヴュ』などの代表作で中核メンバーとして躍動。劇団ブームの頂点を牽引する看板俳優へと成長を遂げます。しかし、彼のキャリアを一気に全国区へと押し上げたのは、舞台とは対極にあるテレビバラエティの世界でした。
1990年、日本テレビ系の国民的バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』にレギュラー出演。「ガンジー勝村」の愛称で親しまれ、過酷なリアクション芸や体当たりのロケ企画に全力で挑みました。舞台で見せるクールな二枚目像を完全にかなぐり捨て、泥まみれになりながら笑いを取りにいく姿は、当時の視聴者に強烈なインパクトを与えました。
当時のインタビューや回想録において、勝村自身も「バラエティで鍛えられた瞬発力や間の取り方が、後の映像演技に決定的な影響を与えた」と述懐しています。プライドを捨てて大衆の輪の中に飛び込んだこの経験こそが、彼を単なる美男子俳優から変幻自在のカメレオン俳優へと進化させた分岐点でした。