松代象山地下壕を語る上で絶対に避けて通れないのが、工事に従事した労働者たちの過酷な処遇です。わずか9カ月という驚異的な短期間で、これほど巨大な岩盤を掘削できた背景には、昼夜を問わぬ突貫作業と大規模な人員動員がありました。
公的記録や研究者の調査報告書によると、工事には西松組(現・西松建設)や鹿島組(現・鹿島建設)といった大手土木会社が携わり、その現場で中核の労働力となったのが約7,000人から1万人とも推計される朝鮮人労働者でした。さらに地元の中学生や勤労動員学徒、近隣住民も資材運搬や周辺工事に動員されました。
当時の労務管理に関する手記や証言には、凄惨な労働実態が生々しく残されています。
「発破の煙が充満し、換気も不十分な坑内へすぐに押し戻された。落盤事故が起きても作業は止められず、怪我人や死者が出ても十分な医療処置は望めなかった」――現場の記録には、ダイナマイトの爆破や落盤による圧死、過酷な労働環境に起因する栄養失調などで多数の犠牲者が出たことが記されています。終戦時、軍関係の機密書類が松代の地でも大量に焼却されたため、正確な死者数や動員者名簿の完全な特定は今なお困難を極めています。
現在、象山地下壕の坑口近くには有志や関係団体によって建立された追悼碑が静かに佇んでいます。この遺跡は単なる旧日本軍の土木技術の遺構ではなく、名もなき多くの労働者の血と汗によって掘り進められた歴史の傷痕そのものです。