ネット上のレビューや感想において、公開当初から現在に至るまで最大の論争点となっているのが、後半からラストシーンにかけての急激なジャンルシフトと伏線回収のプロセスです。前半から中盤にかけて緻密に積み上げられたシニカルな会話劇は、両親が突如として生きて実家へ帰還した瞬間から、予測不能のカオスへと反転します。
鈴木家の父・一鉄が2000万円を強奪した真の動機は、私利私欲ではなく、経営難に苦しむ部下の救済や、家族に遺すべき「最後の資金」という不器用極まりない親心でした。しかし、その歪んだ愛情表現こそが、子どもたちの人生を10年間にわたって狂わせ続けた呪縛そのものでした。終盤、病を患っていた母の突然の死を契機に、物語はリアリズムの枠組みを激しく踏み越えていきます。
観客を最も驚かせたのは、父・一鉄が遺体を乗せた霊柩車を発進させ、海へと向かうクライマックスです。小鉄たちきょうだいが必死に追いかける中、霊柩車は崖から大空へと飛び出し、海中へと落下。その瞬間、車内に隠されていた大量の1万円札が竜巻のような風に乗って空一面に舞い散ります。この「霊柩車の飛翔と宙を舞う紙幣」という超現実的(ファンタジック)な幕切れに対し、映画ファンからは「それまでの泥臭い人間劇が台無しになった」「リアリティを放棄したトンデモ展開」という厳しい批判が寄せられた一方で、「血縁の呪縛と金銭の執着を空へ吹き飛ばす見事なカタルシス」「あの破綻すれすれの飛翔こそが市井監督の作家性であり、家族の再生を描く唯一の手段だった」と絶賛する声が上がり、評価は真っ二つに分かれました。
この結末に至る伏線は、劇中で繰り返し描写される「台風の進路」「小鉄が過去に描いた漫画のモチーフ」「父が遺した不器用なメッセージ」の中に周到に埋め込まれていました。理屈や言葉による和解では決して解決できない機能不全家族の業を、台風という天災と荒唐無稽な奇跡によって強制終了させる構造は、論理的なサスペンスを期待した層を戸惑わせつつも、映画ならではのエモーショナルな作家主義を鮮明に焼き付けています。