仏教に関心を持つ多くの方が直面するのが、「新義真言宗の双璧」と称される智山派(ちさんは)と豊山派(ぶざんは)の違いです。両派ともに興教大師覚鑁を中興の祖と仰ぎ、根来寺の壊滅という共通の受難から出発していながら、再興の地やその後の展開において明確な個性を形成してきました。
歴史的な分水嶺となったのは、根来寺被災後の復興ルートです。玄宥僧正が京都に向かい智積院を興したのに対し、同じく根来寺で学んだ専誉(せんよ)僧正は大和国(現在の奈良県桜井市)の総持院に身を寄せ、西国三十三所観音霊場として名高い長谷寺を再興して「豊山派」の総本山としました。
教理面において両派に根本的な対立はありません。いずれも覚鑁が提唱した「本地加持説(ほんじかじせつ:宇宙の真理そのものである法身大日如来が、衆生を救うために自ら慈悲の説法を行うとする教え)」を基盤としています。しかし、智山派が関東の巨大な祈祷寺院群を包括し、庶民の厄除けや現世利益の信仰をダイナミックに取り込んできたのに対し、豊山派は観音信仰の聖地・長谷寺や徳川将軍家祈願寺であった護国寺を中心に独自の文化を醸成してきた点に、歴史的風土の違いが色濃く現れています。