信長が徳川家康に久秀を引き合わせた際、「この男は天下の三悪事(主君の三好家を裏切り、十三代将軍・足利義輝を弑逆し、東大寺大仏殿を焼き払った)を成し遂げた」と紹介したという逸話は広く知られています。しかし、近年の歴史研究では、これらの悪行のほとんどが冤罪または誇張であったことが実証されています。
一次史料を精査すると、東大寺大仏殿の炎上は合戦中の失火であり、久秀が意図して放火したわけではありません。また、将軍・足利義輝の暗殺(永禄の変)を主導したのは三好三人衆と三好義継であり、当時久秀は京都に滞在しておらず、関与していなかったことが判明しています。
江戸時代の儒教道徳において、信長に二度反逆した久秀は「分かりやすい大悪党」として格好の標的にされました。極悪非道なヒール役にふさわしい劇的な最期として「爆死」という過激なエピソードが追加され、キャラクター像が完成していった背景があります。