宇津ノ谷峠の歴史と由来を語る上で欠かせないのが、宇津ノ谷峠の明治トンネルを巡る劇的な変遷です。現在通行できる美しい赤レンガ造りのトンネルは実は2代目であり、その前身には凄惨な崩落事故の記憶が刻まれています。
江戸時代まで難所として恐れられた宇津ノ谷峠に、日本初の民間有料トンネルとして初代の「明治トンネル」が開通したのは1876年(明治9年)のことでした。当時は赤レンガではなく内部を木材の枠組で支える木造構造でしたが、開通から約20年が経過した1896年(明治29年)2月、内部の照明用カンテラから失火。坑木が激しく燃え上がり、大規模な崩落事故を引き起こしました。通行人や工夫が巻き込まれたこの火災事故によってトンネルは完全に閉塞し、長期間にわたり通行不能となったのです。
この痛ましい宇津ノ谷峠のトンネル崩落経緯と犠牲者の記憶こそが、後年の「坑道内に閉じ込められた工夫の霊が出る」という怪談の決定的な原型となりました。その後、有志や地元行政の尽力により、1904年(明治37年)に頑牢な赤レンガ造りとして再建。総数約10万個ものレンガを職人たちが手作業で積み上げたこの2代目トンネルは、日本の近代化を支えた貴重な土木構造物として、1997年に国の登録有形文化財に指定されています。悲劇を乗り越えて完成した近代化遺産であるにもかかわらず、事故の記憶だけが怪談の養分として消費されてしまったのは皮肉な事実と言わざるを得ません。