東声会が単なる暴力組織を超えて社会的影響力を持つに至った要因には、戦後日本を揺るがした超大物たちとの濃密な関係があります。その代表格が、日本プロレス界の父と呼ばれた力道山です。
同じ朝鮮半島にルーツを持つ町井久之と力道山は、深い個人的信頼で結ばれていました。当時のプロレス興行における会場警備やトラブル処理を東声会が担い、町井は力道山の興行ビジネスを裏から全面的にバックアップしました。力道山が赤坂のナイトクラブで刺殺された際にも、町井が真っ先に現場へ駆けつけ事後処理に奔走した逸話は、東声会と力道山の絆の深さを物語っています。
さらに、東声会の存在感を決定づけたのが「昭和の怪物」と呼ばれた政財界のフィクサー・児玉誉士夫とのパイプです。児玉は町井の器量と組織力を高く評価し、反共運動の実行部隊として東声会を重用しました。1960年代初頭、関西から全国進出を狙う日本最大の広域暴力団・三代目山口組およびその先兵である柳川組が東京進出を図った際、東京の地場組織と山口組の間で一触即発の危機が生じました。
この「東声会と山口組」「東声会と柳川組」の全面衝突の危機を調停したのが児玉誉士夫でした。児玉の仲介により、町井と山口組・田岡一雄組長は兄弟分の盃を交わし、東声会は独立した勢力としての地位を保ちながら、全国の裏社会勢力と対等に渡り合うポジションを確立したのです。