ネット上の言説では「嵐は結成時から事務所の全面的なバックアップを受けたエリート集団だった」と語られがちです。しかし、客観的な活動記録を精査すると、その認識は事実と大きく乖離しています。
デビューシングル『A・RA・SHI』こそ累計97万枚のセールスを叩き出したものの、2000年代前半の嵐は深刻な伸び悩みに直面していました。同世代の他グループがドームツアーを即完売させる中、嵐は地方ホール公演の空席に苦しみ、深夜バラエティ番組『真夜中の嵐』や『Cの嵐!』などで泥臭い体当たりロケを重ねる日々を送っていました。
当時の関係者取材から判明しているのは、ジャニー氏が嵐に対して「放任と試練」を課していたという点です。過保護なレールを用意するのではなく、深夜番組で泥にまみれ、自ら企画を練り直す過程を見守るスタイルをとっていました。「自分たちの足で立てなければ、この世界では生き残れない」という無言のプレッシャーこそが、5人の強固な結束(いわゆる「嵐の民主主義」)を育む土壌となったのです。