堺雅人のキャリアは、早稲田大学演劇研究会を母体として結成された劇団「東京オレンジ」から始まった。1990年代半ば、同劇団の看板俳優として舞台に立っていた彼の人気は凄まじく、いつしかファンから「早稲田の王子」と呼ばれるようになる。
当時の彼が纏っていたのは、どこか浮世離れした儚げなオーラと、見る者を惹きつけて離さない澄んだ瞳だ。チケットは即日完売。劇場の前には彼の姿をひと目見ようと大勢の女子学生が集まり、出待ちの列が途切れることはなかった。しかし本人は、そのアイドル的狂熱に浮かれることなく、ただひたすら演技の精度を磨くことだけに没頭していたという。