小石川養生所が画期的だった最大の理由は、単なる応急手当にとどまらず、持続可能な公衆衛生システムを制度として構築した点にあります。
第一に、治療費・薬代はもちろんのこと、入院中の患者の食費や寝具、衣服に至るまで幕府の財政から全額無償で支給されました。現代の国民健康保険や生活保護医療扶助の原型が、すでに18世紀前半の封建社会において具現化されていたのです。
第二に、立地の選定です。養生所が置かれた「小石川御薬園」には、全国から集められた数多くの薬草が栽培・研究されていました。隣接する薬草園から新鮮かつ高品質な生薬を即座に調達できるサプライチェーンを確保していたため、民間の高価な薬に手が出せない貧民に対しても、最高水準の漢方治療を安定供給することが可能でした。
また、大岡忠相の優れた行政手腕も見逃せません。大岡は小川笙船自身を養生所の実務責任者(肝煎)に登用し、幕府の医師(幕府医官)と町医者を連携させることで、官僚主義の形骸化を防ぎました。吉宗の政治決断、笙船の現場倫理、大岡の実務統括という三者の連携が、空前絶後の福祉機関を具現化させたのです。