なぜ寄り目で静止?歌舞伎の見得を切る意味と掛け声の極意を徹底解明

なぜ寄り目で静止?歌舞伎の見得を切る意味と掛け声の極意を徹底解明

なぜ寄り目で静止?歌舞伎の見得を切る意味と掛け声の極意を徹底解明についての最新情報を徹底解説します。

歌舞伎の舞台で主役がポーズを決め、顔をぐるりと回した直後にピタリと動きを止めるとき、オペラグラスを覗いた初心者の多くが「役者が寄り目になっている」ことに驚きます。実はこの仕草、単なるオーバーアクションやおどけではありません。歌舞伎の様式美における「視覚的ズームレンズ」とも呼ぶべき極めて緻密な演出技法です。

映画やテレビドラマであれば、主人公の激しい怒りや悲しみを伝えるためにカメラが顔面へ極端にクローズアップします。しかし、何千人もの観客を収容する巨大な劇場空間では、後方の席から役者の微細な表情の変化を肉眼で捉えることは不可能です。そこで編み出されたのが、全身の動きを極限まで引き絞って静止し、視線を一点に集中させる「見得」でした。

では、なぜ「寄り目」にする必要があるのでしょうか。歴代の市川團十郎家をはじめとする名優たちの芸談や舞台記録を紐解くと、そこには2つの決定的な理由が存在します。

第1の理由は、仏教美術に由来する「天地眼(てんちがん)」の再現です。市川宗家の十八番である『荒事(あらごと)』は、不動明王の霊力を人間が宿した姿を理想としています。不動明王の図像を観察すると、右目は天を睨み、左目は地を睨む「左右非対称の眼」をしており、あらゆる世界の悪霊や災厄を威嚇する絶対的な霊力を示しています。役者は黒目を片方だけ鼻柱へ強く引き寄せ、もう片方を前方に据えることで、超人的な神仏の怒りをその肉体に降臨させているのです。

第2の理由は、客席全体を支配する視覚心理学的なトリックです。人間は真正面を見つめられると、視野の中心にいる人物しか「自分が見られている」と感じません。ところが、左右の焦点をわずかにずらした寄り目の状態を作ると、光線の反射と目の錯覚によって、劇場の1階平土間から3階席の隅に座る観客までが「今、舞台上の役者と自分だけの目が合った!」という強烈な主観的体験を抱きます。十三代目市川團十郎も舞台記録やインタビューにおいて「見得の瞬間の視線は、空間全体を抱きしめるように放つ」と語っており、寄り目は劇場の隅々まで魂の波動を送り届けるための計算された身体技術なのです。

山下 哲也
著者

山下 哲也

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。